ゴルフと同時にやっていたのが、スノーボードだった。北京五輪にも出場した日本のトッププロスノーボーダーの姉・雅(みやび)と一緒にプロを目指していた。ところが、その気持ちがいつの間にかゴルフへと移っていった。「小学5年のころ全国大会に出るようになって、なんとなくプロを意識するようになりました。スノボはいまでも大好きな趣味です」と鬼塚。
姉・雅はひとあし早くプロの世界で活躍しているが、鬼塚はJLPGAのプロテストにまだ合格していない。「高校を卒業して受験した最初のプロテストが、一番惜しかったです。いまよりもショットが安定していました」と振り返るように、最初のプロテストは19年で最終テストまで進み、あと一歩で悔し涙を飲んだ。
20年、21年のプロテストは2次予選を不通過。だがこれで「スイングを変えた時期があって、それが原因で調子を崩していたのだと思います。飛距離を伸ばそうとしたところがあったのですが、私は昔からショットメーカー、その長所を伸ばしていこうと思いました」と話すように気持ちを切り替えることができた。
プロテストに失敗した直後だった。21年マイナビネクストヒロインゴルフツアー『Sky New Normal Ladies Cup』で優勝を遂げたのだ。
「プロテストのときは、ティショットが荒れすぎていました。マイナビで勝ったときも曲がっていたのですが、多少の曲がりならパーを獲れる。耐えていれば、チャンスで攻めるゴルフができる」と再認識し、優勝したことで「自信になった」と話す。
性格はマイペースの人見知り。試合中はずっと、目の前の一打のことを考えている。常に自分のゴルフを見つめている。そんな鬼塚のそばには、いつもオリンピアンの姉・雅がいる。「姉の活躍を見て、私も頑張らなくちゃなって思います。練習量もすごくて、学びになっています。マイナビで優勝したときはインターネットで見ててくれて、最後18番をボギーで勝ったんですが、“そこは決めてほしかった”なんていわれちゃいました。次に勝つときはバーディかパーで勝ちたいです」と、前を向く。
姉・雅はひとあし早くプロの世界で活躍しているが、鬼塚はJLPGAのプロテストにまだ合格していない。「高校を卒業して受験した最初のプロテストが、一番惜しかったです。いまよりもショットが安定していました」と振り返るように、最初のプロテストは19年で最終テストまで進み、あと一歩で悔し涙を飲んだ。
20年、21年のプロテストは2次予選を不通過。だがこれで「スイングを変えた時期があって、それが原因で調子を崩していたのだと思います。飛距離を伸ばそうとしたところがあったのですが、私は昔からショットメーカー、その長所を伸ばしていこうと思いました」と話すように気持ちを切り替えることができた。
プロテストに失敗した直後だった。21年マイナビネクストヒロインゴルフツアー『Sky New Normal Ladies Cup』で優勝を遂げたのだ。
「プロテストのときは、ティショットが荒れすぎていました。マイナビで勝ったときも曲がっていたのですが、多少の曲がりならパーを獲れる。耐えていれば、チャンスで攻めるゴルフができる」と再認識し、優勝したことで「自信になった」と話す。
性格はマイペースの人見知り。試合中はずっと、目の前の一打のことを考えている。常に自分のゴルフを見つめている。そんな鬼塚のそばには、いつもオリンピアンの姉・雅がいる。「姉の活躍を見て、私も頑張らなくちゃなって思います。練習量もすごくて、学びになっています。マイナビで優勝したときはインターネットで見ててくれて、最後18番をボギーで勝ったんですが、“そこは決めてほしかった”なんていわれちゃいました。次に勝つときはバーディかパーで勝ちたいです」と、前を向く。