一向に良くならない状態のまま15時ころに、自らの首に手をやり頸動脈に指先を当ててみたところ、『あれ、脈が無い』。その時、未だ心臓は動いていたのだが、指先に脈を感じないほどその鼓動は、まさに虫の息のように弱くなっていたのだ。
心筋梗塞だった。
救急車で宇部興産中央病院に16時30分に搬送された山崎は、濱田頼臣医師の執刀による緊急手術を受けるのだが、これが相当に危険なものだった。一般に心筋梗塞の場合、発症後に4時間が生死を分ける分水嶺だと言われているが、山崎の場合、最初の朝7時の発症から病院に運ばれてきた時点で10時間近く経っていた。この致命的なタイムロスによって、まさに山崎は、オペ中に命を落とす確率が高い中で手術を受けることになったのだ。
この生死を分ける手術の最中に山崎は、『死』を身近に体験したというのだ。
その手術は成功し、術後の経過も『奇跡』と言えるほどの快復ぶりをみせて、発症から52日目に山崎は退院をした。まさに、“生き返った”のである。
よく人は、『生まれ変わったら何をする』という問いかけをする。そんな時に、今度はこんな職業に就きたいとか、次はこんな人と結婚するなどと他愛もない夢を口にするけれど、実際に死を一度垣間見て、九死に一生を得た山崎泰宏は、砂浜についた足跡をもう一回重ね合わせて踏みしめる人生を選ぶという。ドラコンプロという人生だ。せっかくもう一度もらった人生なのに、何か違う生き方をしたいと思わないのかと問うてみた。すると彼はこう言ったのだ。
心筋梗塞だった。
救急車で宇部興産中央病院に16時30分に搬送された山崎は、濱田頼臣医師の執刀による緊急手術を受けるのだが、これが相当に危険なものだった。一般に心筋梗塞の場合、発症後に4時間が生死を分ける分水嶺だと言われているが、山崎の場合、最初の朝7時の発症から病院に運ばれてきた時点で10時間近く経っていた。この致命的なタイムロスによって、まさに山崎は、オペ中に命を落とす確率が高い中で手術を受けることになったのだ。
この生死を分ける手術の最中に山崎は、『死』を身近に体験したというのだ。
その手術は成功し、術後の経過も『奇跡』と言えるほどの快復ぶりをみせて、発症から52日目に山崎は退院をした。まさに、“生き返った”のである。
よく人は、『生まれ変わったら何をする』という問いかけをする。そんな時に、今度はこんな職業に就きたいとか、次はこんな人と結婚するなどと他愛もない夢を口にするけれど、実際に死を一度垣間見て、九死に一生を得た山崎泰宏は、砂浜についた足跡をもう一回重ね合わせて踏みしめる人生を選ぶという。ドラコンプロという人生だ。せっかくもう一度もらった人生なのに、何か違う生き方をしたいと思わないのかと問うてみた。すると彼はこう言ったのだ。