「いきなり、左の脇の下辺りから喉元にかけてグーっと持ち上ってくる激しい吐き気に襲われ、次第に胸の周囲で洗濯機がグワン、グワンと回っているような感覚になり、それが5分ほど続いたんです。しかし、吐き気がいったん引いた時に、ぬるま湯を頭に掛けたらスーッと気分がすっきりした。今思えば、それが心筋梗塞の症状だったんですけれど、すっきりしてしまったことで湯あたりでもしたかなで収めてしまったんです。これが、良くなかったんです」
症状が引いたので車を運転して会場入りしたのだが、10時からの練習の時に生唾が出たりして調子がまた悪くなった。地元の山口県開催ということで大会の運営責任者を任されていた昨年の日本チャンピオンの三隅直人は、この山崎の異変に気付いていた。
「山崎さんはいつもなら試合前に疲れるんじゃないかというくらい練習をされるんですけど、その日は珍しく練習場で椅子に座っていたので、『どうしたんですか』と聞くと、『朝からちょっと気持ちが悪いんだよ』と言われていたので心配をしていました」。
その後も運営で動き回っていた三隅だが、会場で山崎の姿が見えないので気になり、周囲のスタッフに聞くと、症状が悪化したので15時頃に救急車を手配し15時38分に搬送されたという。大会終了後に山崎が1時間近く離れた宇部興産中央病院に運ばれたことを知り三隅は、「これはただ事じゃないな」と思い、病院に山崎の状態を問い合わせるも、個人情報保護により病院側から教えてはもらえなかった。
一方、大会終了後に直接病院に駆け付けた高橋代表だが、山崎は心筋梗塞発症後10時間というきわめて重篤な状態で運ばれ、予後の見通しが厳しい手術を受けており、会うことはできなかった。その翌日、高橋は「兄弟だ」と偽り病院に電話を入れ、病院側も怪しんだが本人の確認を経て、一命を取り留め未だ酸素マスクが外れない山崎に3分だけという制約付きの会話ができた。このとき、始めて高橋は山崎の病名と生存を確認することになった。
そして、ホテルやレンタカーの清算や荷物の預かりはすべて三隅がやり、山崎の契約先のJビームの社長には自分が連絡したので安心するようにと伝えた。
症状が引いたので車を運転して会場入りしたのだが、10時からの練習の時に生唾が出たりして調子がまた悪くなった。地元の山口県開催ということで大会の運営責任者を任されていた昨年の日本チャンピオンの三隅直人は、この山崎の異変に気付いていた。
「山崎さんはいつもなら試合前に疲れるんじゃないかというくらい練習をされるんですけど、その日は珍しく練習場で椅子に座っていたので、『どうしたんですか』と聞くと、『朝からちょっと気持ちが悪いんだよ』と言われていたので心配をしていました」。
その後も運営で動き回っていた三隅だが、会場で山崎の姿が見えないので気になり、周囲のスタッフに聞くと、症状が悪化したので15時頃に救急車を手配し15時38分に搬送されたという。大会終了後に山崎が1時間近く離れた宇部興産中央病院に運ばれたことを知り三隅は、「これはただ事じゃないな」と思い、病院に山崎の状態を問い合わせるも、個人情報保護により病院側から教えてはもらえなかった。
一方、大会終了後に直接病院に駆け付けた高橋代表だが、山崎は心筋梗塞発症後10時間というきわめて重篤な状態で運ばれ、予後の見通しが厳しい手術を受けており、会うことはできなかった。その翌日、高橋は「兄弟だ」と偽り病院に電話を入れ、病院側も怪しんだが本人の確認を経て、一命を取り留め未だ酸素マスクが外れない山崎に3分だけという制約付きの会話ができた。このとき、始めて高橋は山崎の病名と生存を確認することになった。
そして、ホテルやレンタカーの清算や荷物の預かりはすべて三隅がやり、山崎の契約先のJビームの社長には自分が連絡したので安心するようにと伝えた。