「最初に思ったのは、このまま死んでしまったら、かみさんとか子供とかに伝えたいこととかあるじゃないですか、それが出来なくなってしまうから。でも、もし手術をして一日でも一週間でも生きられるなら、伝えることもできる。そう思って、『お願いします』と言いました。生きたいという命乞いではなかったですね」。
そのときに、死への恐怖のようなものはなかったのだろうか。
「怖さというものはなかったけれど、発作が起きて、それを我慢してしまったことへの後悔の方が大きかったですね。なんでもっと早く病院に来なかったのか、そうすれば助かったかもしれないのにと思ったら、ちょっと切なかったですね。次に思ったのは、かみさんや娘に申し訳ないなっていう気持ちです。娘はまだ中学生だったので、もし自分が死んだらこれから先は、かみさんは女手一つで育てていかないといけないから、大変だろうな、申し訳ないという気持ちが強かったです」。
この発言からもわかるように、“死に行く身”の山崎が考えたのは、最愛の家族のことだった。恐らく、いつの日か死を迎える多くの人たちも、やはり山崎と同じような想いに駆られることであろう。
しかし、それにしては不思議なことに、山崎は手術前の“最後の電話”のときに、家族にこう告げているのである。
「(病院には)来なくてもいいと言ったんですよ。来ても窓越しにしか会えないし、手術が成功したとしても集中治療室での治療が続く限りは話すこともままならないだろうし。それでまた長野に戻って、すぐに山口までくるなんていうのは大変だし。よく死に際に、『お前たちと一緒に過ごせて良かった、ありがとう』とか言うのをドラマで見るけれど、そういうことは一切言わなかったですね」。
そのときに、死への恐怖のようなものはなかったのだろうか。
「怖さというものはなかったけれど、発作が起きて、それを我慢してしまったことへの後悔の方が大きかったですね。なんでもっと早く病院に来なかったのか、そうすれば助かったかもしれないのにと思ったら、ちょっと切なかったですね。次に思ったのは、かみさんや娘に申し訳ないなっていう気持ちです。娘はまだ中学生だったので、もし自分が死んだらこれから先は、かみさんは女手一つで育てていかないといけないから、大変だろうな、申し訳ないという気持ちが強かったです」。
この発言からもわかるように、“死に行く身”の山崎が考えたのは、最愛の家族のことだった。恐らく、いつの日か死を迎える多くの人たちも、やはり山崎と同じような想いに駆られることであろう。
しかし、それにしては不思議なことに、山崎は手術前の“最後の電話”のときに、家族にこう告げているのである。
「(病院には)来なくてもいいと言ったんですよ。来ても窓越しにしか会えないし、手術が成功したとしても集中治療室での治療が続く限りは話すこともままならないだろうし。それでまた長野に戻って、すぐに山口までくるなんていうのは大変だし。よく死に際に、『お前たちと一緒に過ごせて良かった、ありがとう』とか言うのをドラマで見るけれど、そういうことは一切言わなかったですね」。