退院して約2カ月ぶりに長野の家に帰った山崎に、娘はすぐに抱きついてきて、妻はその上からハグをして、家族3人で喜びを分かち合った。妻は山崎の胸に耳を当て、「あ、動いているね」と言って心臓の音を確認した。山崎はいう。
「今、こうやって生きているから言えることだけど、死にかけて良かったと思いました。というのは、死にかけたことで家族に対する愛情は深まったんですよ。自分は死ぬんだと思ったときに考えたことは、死ぬときは独りなんだということ、そして残された人間に何が残るかといったら、その人から言われた言葉なんですよね。だからこれからはお互い、隠し事とか嘘とかそういうことは一切なしにして、お互いとことん話をしよう。思ったことはなんでも言葉に出して言い合えるようにしようと決めたんです」
死を前にして、思い出が走馬灯のように駆け巡るとか、枕元に集まった家族に感謝するというのは、自分を中心にした過去に対する思考である。しかし、山崎が死を前にして考えたのは、家族の将来の幸せを願う思考である。
フランスの思想家のジャック・アタリは、さまざまな問題を抱えるこの世界の行き詰った状況を変えるために、我々は『利他主義』的な行動をとるべきと主張する。彼は「深刻な危機に直面した今こそ『他者のために生きる』ことが重要である。協力は競争よりも価値があり、人類は1つであることを理解すべきだ。利他主義という理想への転換こそが、人類のサバイバルの鍵である」と言っている。そして、利他主義者になるためには、自分や周りの人間は「いつ死んでもおかしくないのだ」と認識し、死ぬまでの限られた時間を有効に活用し充実した人生を送るようにする。そして、他人に対して関心と共感を持ち、自分の幸福は他者の幸福に依存することを自覚することが大事なのだという。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックや、ロシアとウクライナの紛争が取り返しのつかない第三次世界大戦へと繋がる危機感が広がる中、このアタリの『利他主義』という考え方は世界に共感をもって広がりをみせている。
『利他主義』は山崎泰宏が死を前にして到達した家族に対する考え方やその境地に通じるものがないだろうか。人間は、家族や子供、そして人類が幸福に生き続けてくれることを考えて死んでいくのかもしれない。(取材・文/古屋雅章)
「今、こうやって生きているから言えることだけど、死にかけて良かったと思いました。というのは、死にかけたことで家族に対する愛情は深まったんですよ。自分は死ぬんだと思ったときに考えたことは、死ぬときは独りなんだということ、そして残された人間に何が残るかといったら、その人から言われた言葉なんですよね。だからこれからはお互い、隠し事とか嘘とかそういうことは一切なしにして、お互いとことん話をしよう。思ったことはなんでも言葉に出して言い合えるようにしようと決めたんです」
死を前にして、思い出が走馬灯のように駆け巡るとか、枕元に集まった家族に感謝するというのは、自分を中心にした過去に対する思考である。しかし、山崎が死を前にして考えたのは、家族の将来の幸せを願う思考である。
フランスの思想家のジャック・アタリは、さまざまな問題を抱えるこの世界の行き詰った状況を変えるために、我々は『利他主義』的な行動をとるべきと主張する。彼は「深刻な危機に直面した今こそ『他者のために生きる』ことが重要である。協力は競争よりも価値があり、人類は1つであることを理解すべきだ。利他主義という理想への転換こそが、人類のサバイバルの鍵である」と言っている。そして、利他主義者になるためには、自分や周りの人間は「いつ死んでもおかしくないのだ」と認識し、死ぬまでの限られた時間を有効に活用し充実した人生を送るようにする。そして、他人に対して関心と共感を持ち、自分の幸福は他者の幸福に依存することを自覚することが大事なのだという。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックや、ロシアとウクライナの紛争が取り返しのつかない第三次世界大戦へと繋がる危機感が広がる中、このアタリの『利他主義』という考え方は世界に共感をもって広がりをみせている。
『利他主義』は山崎泰宏が死を前にして到達した家族に対する考え方やその境地に通じるものがないだろうか。人間は、家族や子供、そして人類が幸福に生き続けてくれることを考えて死んでいくのかもしれない。(取材・文/古屋雅章)