山崎が一つの道を究めることの凄さや尊さとプロフェッショナルというものを感じたのは、宇部興産中央病院での入院中のことだった。
「それを学んだのは看護師さんです。いつも笑顔でお願いしたことを嫌な顔ひとつしないでやってくれる。仕事と言えばそれまでですけどね。入院生活が長かったので、46人の看護師さんと接しているんですけれど、その看護師さん全員が良い人だったんですよ。あの人たちは物凄く言葉を選ぶんですよ。変に期待を持たせてもいけないけど絶望も与えない。死ぬかもしれない人に対して、残された日々を頑張って生きることができるような不思議な言葉を持っている。僕が生き続けることができたのは自分の体の力ですけれど、でも生かされたのはそういう人のお蔭だとつくづく思います」
入院中に山崎の心の中では、そういった価値観の変化が起こっていたのである。(取材・文/古屋雅章)
「それを学んだのは看護師さんです。いつも笑顔でお願いしたことを嫌な顔ひとつしないでやってくれる。仕事と言えばそれまでですけどね。入院生活が長かったので、46人の看護師さんと接しているんですけれど、その看護師さん全員が良い人だったんですよ。あの人たちは物凄く言葉を選ぶんですよ。変に期待を持たせてもいけないけど絶望も与えない。死ぬかもしれない人に対して、残された日々を頑張って生きることができるような不思議な言葉を持っている。僕が生き続けることができたのは自分の体の力ですけれど、でも生かされたのはそういう人のお蔭だとつくづく思います」
入院中に山崎の心の中では、そういった価値観の変化が起こっていたのである。(取材・文/古屋雅章)