■バチッとはまるときがある 16年の全米プロがそうだった
「選手もキャディもそうなんですが、『バチッ』とはまるときがあるんです。それがこのときは初日の2番か3番だったんです。これはいけるぞ、と思ったんです」。初日を1アンダーにまとめると、2日目には3つ伸ばしトータル4アンダーの9位タイで大会を折り返した。
3日目は悪天候のため順延となったが、日曜日に再開後の第3ラウンドでも3アンダーをマークし、首位と4打差の5位タイで最終ラウンドを迎えることとなった。その最終ラウンドでも2つ伸ばし、最終的には首位と5打差の4位タイ。メジャーでのベストを更新した。「結果が出ない時期だったのもありましたし、そのあと良い流れに入っていけたという点でも、大きな意味がありました」。
ここで一気に上昇気流に乗った松山は、PGAツアーのプレーオフシリーズでも好結果を残し、いまでも記憶に新しい、絶頂期を迎えることになる。10月には「日本オープン」、そして「WGC-HSBCチャンピオンズ」ではアジア人として初の世界ゴルフ選手権制覇。「三井住友VISA太平洋マスターズ」でも優勝し、ツアー外競技ながら世界のトップのみが競う12月の「ヒーローワールドチャレンジ」でも勝利した。世界ランキングを一気に上げて、名実ともに世界のトップクラス、それもほんの一握りのスターへと駆け上がっていった。
そんな好調をキープしながら入った17年。進藤氏にとっても経験したことのない、大きなプレッシャーと戦うことになった一年。松山とともに歩む戦いが、あの17年全米プロへとつながっていく。
■進藤大典
しんどう・だいすけ 1980年生まれ。京都府出身。松山英樹と同じ明徳義塾高、東北福祉大ゴルフ部出身の経歴を持つ。2003年1月から同級生の宮里優作の専属キャディとなりツアー転戦を開始。同年3月に大学卒業。その後は谷原秀人の専属キャディとなり06年にツアー初優勝。09年には片山晋呉の専属キャディ、13年から松山英樹の専属キャディとなり、18年まで務め米ツアー5勝を果たした。岩田寛も大学の同級生。現在はテレビ解説や執筆業、講演なども行う。
「選手もキャディもそうなんですが、『バチッ』とはまるときがあるんです。それがこのときは初日の2番か3番だったんです。これはいけるぞ、と思ったんです」。初日を1アンダーにまとめると、2日目には3つ伸ばしトータル4アンダーの9位タイで大会を折り返した。
3日目は悪天候のため順延となったが、日曜日に再開後の第3ラウンドでも3アンダーをマークし、首位と4打差の5位タイで最終ラウンドを迎えることとなった。その最終ラウンドでも2つ伸ばし、最終的には首位と5打差の4位タイ。メジャーでのベストを更新した。「結果が出ない時期だったのもありましたし、そのあと良い流れに入っていけたという点でも、大きな意味がありました」。
ここで一気に上昇気流に乗った松山は、PGAツアーのプレーオフシリーズでも好結果を残し、いまでも記憶に新しい、絶頂期を迎えることになる。10月には「日本オープン」、そして「WGC-HSBCチャンピオンズ」ではアジア人として初の世界ゴルフ選手権制覇。「三井住友VISA太平洋マスターズ」でも優勝し、ツアー外競技ながら世界のトップのみが競う12月の「ヒーローワールドチャレンジ」でも勝利した。世界ランキングを一気に上げて、名実ともに世界のトップクラス、それもほんの一握りのスターへと駆け上がっていった。
そんな好調をキープしながら入った17年。進藤氏にとっても経験したことのない、大きなプレッシャーと戦うことになった一年。松山とともに歩む戦いが、あの17年全米プロへとつながっていく。
■進藤大典
しんどう・だいすけ 1980年生まれ。京都府出身。松山英樹と同じ明徳義塾高、東北福祉大ゴルフ部出身の経歴を持つ。2003年1月から同級生の宮里優作の専属キャディとなりツアー転戦を開始。同年3月に大学卒業。その後は谷原秀人の専属キャディとなり06年にツアー初優勝。09年には片山晋呉の専属キャディ、13年から松山英樹の専属キャディとなり、18年まで務め米ツアー5勝を果たした。岩田寛も大学の同級生。現在はテレビ解説や執筆業、講演なども行う。