ウッズ失速と入れ替わるように、シンプソンは安定感を取り戻し、72ホール目は2打目を池に入れてダブルボギーを叩いたが、それでも2位に4打差を付けて勝利。復活優勝に向かって勢いづくウッズを振り払ったシンプソンにとって、この勝利は米ツアー通算5勝目、そして4年ぶりの復活優勝となった。
2011年に年間2勝を挙げ、2012年には全米オープン制覇。翌年さらに1勝を挙げ、トッププレーヤーへの階段を駆け上っていたシンプソンだが、2016年にアンカリングが禁止され、武器だったロングパターをレギュラーパターに持ち替えてからは成績が振るわなかった。
そんなシンプソンをロープの内外で支えてきたのは、7年以上もタッグを組み続けているキャディのポール・テソリだ。2014年に生まれたテソリの長男はダウン症と診断され、誕生直後はテソリもテソリの妻も試行錯誤の連続で、数か月間、バッグを担ぐことができなかった。シンプソンはそんなテソリに夜な夜なメールを送り、励まし続けたそうだ。
それから2年後、パターを持ち替えたシンプソンがパットに苦しみ始めてからは、今度はテソリがシンプソンを励ましてきた。「こうして優勝できたこと。すべてはポールのおかげだ」。
そして、もう一人、忘れてはならないのはシンプソンの愛妻ダウドの存在だ。
「妻は、いつどんなときも、僕をポジティブに支えてくれた」
2011年に年間2勝を挙げ、2012年には全米オープン制覇。翌年さらに1勝を挙げ、トッププレーヤーへの階段を駆け上っていたシンプソンだが、2016年にアンカリングが禁止され、武器だったロングパターをレギュラーパターに持ち替えてからは成績が振るわなかった。
そんなシンプソンをロープの内外で支えてきたのは、7年以上もタッグを組み続けているキャディのポール・テソリだ。2014年に生まれたテソリの長男はダウン症と診断され、誕生直後はテソリもテソリの妻も試行錯誤の連続で、数か月間、バッグを担ぐことができなかった。シンプソンはそんなテソリに夜な夜なメールを送り、励まし続けたそうだ。
それから2年後、パターを持ち替えたシンプソンがパットに苦しみ始めてからは、今度はテソリがシンプソンを励ましてきた。「こうして優勝できたこと。すべてはポールのおかげだ」。
そして、もう一人、忘れてはならないのはシンプソンの愛妻ダウドの存在だ。
「妻は、いつどんなときも、僕をポジティブに支えてくれた」