ドラコンプロの山崎泰宏は2021年4月24日、ドラコン大会の当日に心筋梗塞に見舞われるも、手術によって一命をとりとめた。しかし手術後1週間はICU内で12本の点滴で命をつなぐなど、まさに死の淵を彷徨う状態であった。
山崎泰宏52歳、退院から10カ月でヘッドスピード65m/s超え!【動画】
だが、その後、彼は驚異的な快復をみせ52日後に日常生活に戻り、さらには2か月後にはドラコンプロとして復活を果たすのである。
どうして“死なず”に済んだのか。そして、どうして以前と同じように“生きる”ことが出来ているのか。その理由を、多くの人に知ってもらい、少しでも自分のことに置き換えて考えてみることで救われる人が出て欲しい。それが生きながらえた自分にできることと山崎はいう。
今回は、心筋梗塞を発症した者に纏わる『運と不運』について考えてみた。
山崎泰宏は、小学校から高校まで野球をやっていた。高校生時代は甲子園にこそ行っていないが、出身地の長野県大会の打率で当時の記録を持っていた。またスキーの指導員の資格も持つなどスポーツは万能。少年時代から体は頑健で、ほぼ無病息災で51歳(当時)まで生きてきた。皮肉にも、彼がこの頑健な体を持っていたことがある意味、『不運』を招くことになったのである。
山崎泰宏52歳、退院から10カ月でヘッドスピード65m/s超え!【動画】
だが、その後、彼は驚異的な快復をみせ52日後に日常生活に戻り、さらには2か月後にはドラコンプロとして復活を果たすのである。
どうして“死なず”に済んだのか。そして、どうして以前と同じように“生きる”ことが出来ているのか。その理由を、多くの人に知ってもらい、少しでも自分のことに置き換えて考えてみることで救われる人が出て欲しい。それが生きながらえた自分にできることと山崎はいう。
今回は、心筋梗塞を発症した者に纏わる『運と不運』について考えてみた。
山崎泰宏は、小学校から高校まで野球をやっていた。高校生時代は甲子園にこそ行っていないが、出身地の長野県大会の打率で当時の記録を持っていた。またスキーの指導員の資格も持つなどスポーツは万能。少年時代から体は頑健で、ほぼ無病息災で51歳(当時)まで生きてきた。皮肉にも、彼がこの頑健な体を持っていたことがある意味、『不運』を招くことになったのである。