しかし、2002年に「ミケロブ選手権」で米ツアー初優勝を挙げるまで、それから2年超を要した。2007年「ニッサン・オープン」を制し、通算2勝目を挙げるまでには5年を要した。その日から今大会で通算3勝目を挙げるまでには11年9カ月を要し、かつての天才ヤングゴルファーは、すでに39歳になっている。
思わず込み上げたうれし涙は、その歳月の長さを物語っていた。ハウエルは必ずしも不調だったわけではなく、何度も優勝争いに絡み、何度も2位になったが、どうしても勝利にはギリギリで手が届かなかった。
初優勝から5年を経て2勝目を挙げた直後の2007年の春、ハウエルにインタビューをしたことがあった。そのとき彼は「これまで僕が勝ったのは2回だけだけど、2位になったのは合計14回。優勝できる確率と2位になる確率には、そのぐらい差がある。でも、やっぱり勝負は勝ってこそだ。だから僕は必死に練習して挑み続ける」と言っていた。
あのときのハウエルは2位になった回数を正確に把握していて、自ら「14回」と言ったが、2勝目以降のこの11年9カ月の間、果たして何回2位になり、どれだけ優勝争いに敗れ、悔し涙を飲んだことか。
「いつも、ほんの少しだけ僕に運が向いてくれたらと思ってきた」
ハウエルにとって勝利と惜敗は、いつも小さな運に翻弄されると感じるほどの“紙一重”の差だった。いつもギリギリで勝利を逃すと感じていたハウエル。その「ギリギリ」の意味は、本当はいろいろあったはずだが、11年ぶりの勝利を目前にしていた今大会の74ホール目のハウエルは、噛み締めてきたギリギリ感を、とにもかくにも目の前のバーディパットにすべて込めた。
思わず込み上げたうれし涙は、その歳月の長さを物語っていた。ハウエルは必ずしも不調だったわけではなく、何度も優勝争いに絡み、何度も2位になったが、どうしても勝利にはギリギリで手が届かなかった。
初優勝から5年を経て2勝目を挙げた直後の2007年の春、ハウエルにインタビューをしたことがあった。そのとき彼は「これまで僕が勝ったのは2回だけだけど、2位になったのは合計14回。優勝できる確率と2位になる確率には、そのぐらい差がある。でも、やっぱり勝負は勝ってこそだ。だから僕は必死に練習して挑み続ける」と言っていた。
あのときのハウエルは2位になった回数を正確に把握していて、自ら「14回」と言ったが、2勝目以降のこの11年9カ月の間、果たして何回2位になり、どれだけ優勝争いに敗れ、悔し涙を飲んだことか。
「いつも、ほんの少しだけ僕に運が向いてくれたらと思ってきた」
ハウエルにとって勝利と惜敗は、いつも小さな運に翻弄されると感じるほどの“紙一重”の差だった。いつもギリギリで勝利を逃すと感じていたハウエル。その「ギリギリ」の意味は、本当はいろいろあったはずだが、11年ぶりの勝利を目前にしていた今大会の74ホール目のハウエルは、噛み締めてきたギリギリ感を、とにもかくにも目の前のバーディパットにすべて込めた。